8月13日、息子二人を誘って出かけてまいりました。
なんだか夏休み近くになると、彼らを誘ってどこかに行きたくなるのです。
しかも夕方には家に居られるような、そんな近場はないかなと、どこに行くかに頭を悩ませます。
実は以前から、京急に乗って、ぶらっと終点まで行ってみようかなと思っていました。
それをラッタさんに(息子1)に言うと、意外と行きたい場所からは遠いところに、その駅はあって、そこからまたバスに乗っていかなくてはならないのだと分かりました。
それでその思いつきは、私の中では萎んでいたのですが、京急ふらっとひとり旅案は消えて、いきなり「そうだ!三浦にマグロを食べに行こう!ルート君の車で(楽に)!」案が浮上。ルート君と言うのは、息子その2で、二人とも、もうおじさんです。(どうでも良いことですし、ご存じの方も多いかと思いますが、一応ね(笑))
そして決行となったわけですが、
11日には逆走台風とかで、茨城に台風が上陸、そして去っては行ったものの、台風一過とはならず、13日も降ったりやんだりする天気だと分かり、少々がっかりしつつも出掛けました。
三浦でマグロを食べるのはいいとして、他に何かあるかしらと思い、じゃあ、城ケ島に行ってみようとなりました。
かなり安易な決め方です。
まあ、私的にはね、3人でどこかに行けたら楽しいなくらいの動機なので、そのくらいの安易さで丁度いいのですよね。
確かに降ったりやんだりの城ヶ島公園でした。

雨がしっかり写っています。
波を撮りたくて、動画も撮ったのですが、雨の音ばかりが派手に入っていました。
「城ヶ島は雨でいいのよ。歌にだってあるんだから。学校で習ったんじゃない?」と言うと、SONSは全く知らず。
「ほらっ、『雨が~降る、フル~♪』ってやつよ。」と言いながら、私もそこしか歌えないなと気が付きました。
家に帰って聴きなおしたら、これを学校で教えるのって、きっと私達くらいの年代で終わりよねと、思わず頷いてしまいましたが、歌詞は白秋なんだし、一般教養として知っていても良いのではないかと思ったりもしました。
この詩を書いた頃の白秋は、姦通罪で訴えられ、逃げるように三崎に移り住、またその頃、実家は経営破綻で破産をし、どん底の中で、この詩を書いたと言われています。
それが「利休鼠」と言う言葉にも反映しているかもしれませんね。
利休鼠=
「利休鼠の雨」とは、緑みを帯びた渋い灰色の雨で、
詩的には心の陰鬱や静かな感情の色を象徴する表現です。
色としての利休鼠
「利休鼠(りきゅうねずみ)」は色名で、
灰色がかった黄緑色に鼠色を加えた落ち着いた中間色を指します。
千利休にちなんで名付けられ、抹茶の緑や侘び茶の雰囲気を連想させる色合いです。
ただし、千利休が実際に好んだ色という意味ではありません 。
この色は明るいグレーでも真っ黒でもなく、
どちらとも言い切れない曖昧さを持つことが特徴です 。
詩における象徴的意味
北原白秋の『城ヶ島の雨』では、「利休鼠の雨がふる」という表現は、
外界の雨と内面の感情が重なり合う象徴として用いられています。
雨の色は、単なる自然現象ではなく、作者の心情や陰鬱な心理状態を映すものです。
白秋がこの詩を作った時期は、人生で最も苦難に満ちた時期であり、
個人的な悲しみや社会的困難が反映されていると考えられます 。
詩的効果と情景描写
利休鼠の雨は、静かで内向的な世界を作り出し、感情を直接説明せずに、
雨や色彩を通して心の状態を表現します。
舟が雨の中をゆっくり進む描写と組み合わさることで、人生の進行や別れ、
旅立ちの象徴としても解釈されます。
色の曖昧さは、感情の割り切れなさや複雑さを反映し、聴く者や読む者に静かに
寄り添う効果を持っています 。
まとめ
「利休鼠の雨」は、単なる灰色の雨ではなく、緑や茶の気配を含む渋い灰色であり、
心の陰鬱や静かな感情、人生の曖昧さを象徴する文学的表現です。
北原白秋はこの色を通して、感情を説明せずに、雨と色彩だけで深い心理的世界を
描き出しています 。



第2展望台から見た風景の1枚です。